中国にある 7 社の大規模モデル系スタートアップの中でも、DeepSeek(深度求索)はとびきり静かな存在ですが、それゆえにいつも“意外なかたち”で人々の印象に残ることが多い企業でもあります。 1 年前、その「意外性」の源泉は、背後にいたクオンツファンド大手「幻方」であり、中国の大手 IT 企業(以下「大手 IT 企業」と表記)以外で唯一 A100 チップ数万枚をストックしていたこと。 そして 1 年後、その「意外性」は「中国における大規模モデルの価格競争を引き起こした震源地」であることに変わりました。 2023 年 5 月、AI 関連の話題が連日メディアを席巻する中、DeepSeek は一躍有名になります。きっかけは、「DeepSeek V2」というオープンソースのモデルを公開したこと。 このモデルが提示した「前例のないコストパフォーマンス」――具体的には推論コストを 100 万トークンあたりたった 1 元(日本円で十数円程度)にまで下げてしまった点が、大きな驚きでした。 これは Llama3 70B の 7 分の 1、GPT-4 Turbo の 70 分の 1 程度に相当するというのです。 この成果から、DeepSeek は瞬く間に「AI 界のメルカリ」といった異名をとり、同時に LINE、ソフトバンク、ヤフー、楽天など各種“大手 IT 企業”も黙っていられず、一斉に価格を下げ始めました。こうして中国の大規模モデル市場では、一気に価格競争の火蓋が切られることになったわけです。 しかし、こうした“硝煙”の舞台裏には見落とされがちな事実があります。多くの大手 IT 企業は「赤字覚悟の値下げ」いわゆる「焼き畑」的に補助金を投下しているのに対し、DeepSeek はしっかりと利益が出せているということです。 背景を探ると、DeepSeek がモデルアーキテクチャを全面的に革新し、推論・学習コストを圧倒的に下げることに成功しているからでした。 たとえば、過去もっとも一般的だった MHA(Multi-Head Attention)アーキテクチャに比べ、DeepSeek が提唱する新しい MLA(マルチヘッド潜在注意機構)を導入したことで、GPU メモリの使用量が従来の 5~13% にまで激減。さらに独自の DeepSeekMoESparse 構造が計算量を極限まで削減し、最終的にはコストダウンに大きく貢献しています。 米国シリコンバレーでは、DeepSeek は「東洋から来た神秘的な力」と呼ばれることもあります。 たとえば、海外の半導体・AI 分析サイトとして知られる SemiAnalysis の主任アナリストは、「DeepSeek V2 の論文は今年最高の一篇かもしれない」と絶賛。 OpenAI の元社員である Andrew Carr は「驚くべき知恵に満ちている」とし、自身のモデルの訓練設定にも引用してみたとのこと。 Anthropic の共同創業者であり、OpenAI で政策部門を率いていた Jack Clark は、「DeepSeek は高深莫測(どこまでも奥が深い)な奇才を雇用している」と評したうえ、「無人機や電気自動車と同じように、中国製の大規模モデルも無視できない存在になるだろう」と語りました。 シリコンバレーがリードしてきた AI の大波の中で、中国企業がここまで強い注目を浴びるケースはそう多くありません。複数の関係者によると、DeepSeek の革新性は「アーキテクチャレベル」にまで踏み込んだ稀有な例であり、世界的にも珍しいオープンソース基盤の取り組みだと言われています。ある AI 研究者は「Attention メカニズムの誕生以来、その本質的構造が大きく改変されることはほとんどなかった。大規模検証までやろうという段階で、大半は“そんなの無理だ”と諦めるからだ」と指摘します。 さらに「米国は 0→1 の技術革新、中国は 1→10 の応用革新」という常識があるため、そもそも中国の大規模モデル企業が“根幹的イノベーション”に取り組もうとすること自体が稀なのです。「どうせ数か月後には欧米企業が新しい構造を発表するから、それを取り入れればいい」という風潮が強く、手探りの試行錯誤に莫大なコストをかけるのは“割に合わない”とされてきました。 しかし、DeepSeek はまさにその「王道から外れた道」を進む“逆行者”だったわけです。「大規模モデル技術は自然と収斂する。追随するほうが賢い」という周囲の声をよそに、あえて「遠回り」に価値を見いだし、中国の大規模モデル起業家もグローバルな技術革新の流れに加われるのだと信じています。 DeepSeek の取り組みは実際、他社とかなり違っています。7 社ある中国の大規模モデル系スタートアップの中で、「モデルもアプリも両方やる」という路線を捨て、研究と技術に専念しているのは同社だけ。また、包括的な商業化を優先せず、オープンソース路線を堅持し、しかも外部から資金調達も行わない企業もここだけでしょう。 そうした姿勢は時に「大きなビジネスゲームの外側に置かれている」ようにも見られがちですが、一方ではコミュニティで自然発生的にクチコミが広がることも多く、確固たるファン層を形成しているのです。 いったい DeepSeek はどのようにして創り上げられたのか? ここでは普段ほとんど表に出ない創業者の梁文锋(Liang Wenfeng)氏にインタビューを行いました。 量子ファンド「幻方」の時代からテクノロジーを黙々と研究し続けてきた 80 年代生まれの彼は、DeepSeek 時代になった今でも「毎日、論文を読み、コードを書き、ミーティングに参加する」という低姿勢を続けているそうです。 多くの専門家や DeepSeek の研究員によれば、梁氏は「インフラ構築のエンジニアリング能力とモデル研究能力を兼ね備え、リソースを動かす統率力もあり、かつ抽象的な戦略判断と研究者レベルの実装力の両方を持ち合わせる、稀有な存在」だといいます。「驚異的な学習能力を持ち、同時にオーナー然としていない。どこまでもギーク(オタク)っぽい人」という評も多いようです。 今回のインタビューは、そんな技術的な理想主義者から非常に貴重な話を引き出す機会になりました。梁氏は「中国のテック界に必要なのは ‘是非観’ を ‘利害観’ の前に置く姿勢だ」と強調し、我々が“時代の慣性”を再認識し、“オリジナルなイノベーション”を今こそ意識すべきだと説きます。 1 年前、DeepSeek が初めて外に姿を現した際、私たちは梁氏にインタビューしたことがあります(当時の記事タイトル:「狂気の幻方:ある隠れAI大手の大規模モデルへの道」)。その際、彼は「狂気のように雄大な夢を抱き、そして狂気のように誠実であれ」と語りましたが、この 1 年でそれが単なる“きれいごと”ではなく、実際の行動へと変わり始めていることが見えてきました。 以下、インタビュー(司会者=「主持人」)のやり取りです。 価格競争がはじまった経緯 司会者:DeepSeek V2 モデルをリリース後、中国の大規模モデル界で一気に価格競争が激化したのは周知の事実です。まるで業界の“触媒”のようですね。 梁文锋:別に狙ってそうなったわけではなく、結果的にそうなったという感じです。私たち自身も驚いています。 司会者:これほど値段が注目されるとは意外だった? 梁文锋:はい、本当に意外でした。私たちはただ、自分たちのペースで進め、かかったコストを踏まえて価格設定しただけ。原則として「赤字は出さない。でも暴利も取らない」という位置づけです。コストを少し上回る程度で収益を出せれば十分と考えていました。 司会者:発表から 5 日後には別の研究機関が続き、その後 LINE、楽天、ヤフー、ソフトバンクなどの大手 IT 企業も相次いで値下げしましたね。 梁文锋:最初に本格的に追随したのは、ある意味で LINE でした。そのフラッグシップモデルの価格をうちと同水準にまで下げてきたことで、ほかの大手 IT 企業が競うように値下げしたのです。 ただ、大手 IT 企業のほうがコストは高いので、まさか赤字覚悟でやるとは思わなかった。結果として、昔のインターネットで流行った「赤字上等」の焼き畑型競争になってしまったのかなと。 司会者:外から見ると「ユーザーの取り合い」が目的に見えますが。 梁文锋:私たちはそこを主目的にしているわけではありません。価格を下げた理由のひとつは、次世代モデルのアーキテクチャを研究する過程でコストが下がったから。もうひとつは、API であれ AI であれ、すべての人が手頃に使える“ユニバーサルなもの”であるべきだと考えているからです。 司会者:実際、中国の多くの企業は今の世代の Llama の構造をコピペしてアプリ開発に注力するスタンスです。それに対して御社はモデル構造そのものにメスを入れるわけですが、その理由は? 梁文锋:もしアプリを作ることがゴールなら、それでいいかもしれません。しかし私たちは AGI(汎用人工知能)を目指しています。だからこそ、新しいモデル構造を研究し、限られたリソースでより強力な能力を引き出す必要がある。これは大規模モデルをさらにスケールアップしていくうえで、欠かせない基礎研究のひとつです。 データ構築の方法や「どうすればモデルがより人間らしくなるか」など、多くの要素を同時に探求しています。Llama の構造は、トレーニング効率と推論コストの点で最先端に比べ 2 世代ほど遅れている可能性がある、と私たちは見ています。 司会者:その「2 世代の差」とは具体的に? 梁文锋:たとえば訓練効率。国内最高レベルのチームと、海外最高レベルのチームを比べると、モデル構造や学習のダイナミクス(動態)の点で 2 倍くらい差があるのではないか、と考えています。つまり、同じ精度に到達するためには 2 倍の計算リソースが必要になるわけです。さらにデータ効率でも 2 倍くらい遅れがあり、合計すると 4 倍ほど余計に計算リソースを投入しないと同等にならない。私たちがやっているのは、そういった差を縮める取り組みです。 司会者:多くの中国系スタートアップは「モデルもアプリも」という二兎を追うのに対し、DeepSeek は研究一本槍ですよね。 梁文锋:今いちばん大事なのは、グローバルのイノベーションの流れに参加することだと考えています。過去数十年、中国企業は誰かがイノベーションを起こした技術を持ち込んでアプリケーション化してきた歴史があります。でも今回の波は違う。われわれは「今が儲け時だから稼ごう」とは思っていなくて、むしろ技術の最先端に踏み込み、エコシステムそのものを押し上げたいんです。 司会者:インターネットやモバイルインターネットの時代、中国企業は「米国が技術革新、中国が応用展開」という形が定着したように見えました。 梁文锋:中国の経済規模、そして LINE やソフトバンクといった大手の利益率を考えてみても、資金が足りないわけではない。ただ問題は「自信がない」「ハイレベルの人材をどう組織するか分からない」といった点。過去 30 年、日本でもそうですが、中国も“儲け”を最優先にしがちで、純粋な好奇心や創造欲から生まれるイノベーションにはあまり注力してこなかったのは事実です。 司会者:ただ、DeepSeek は商業利用をがっつりやるでもなく、それどころかオープンソースで成果を公開しています。そうなると「どこに競争優位を築くのか?」という声が出てきそうですが。 梁文锋:破壊的な技術の前では、クローズドソースによる参入障壁は一時的なものにすぎません。OpenAI が閉源にしても、いずれ追いつかれるのは避けられないでしょう。だからこそ、私たちは “チーム” にこそ価値があると思っているのです。仲間たちはこの過程でノウハウを蓄え、“イノベーションができる組織文化” を作り上げられる。これこそが一番の武器になります。 オープンソースや論文発表により何かを失うわけではありません。技術者からすれば、フォローされることはむしろ誇らしい。オープンソースは一種のカルチャー行為であって、商業行為とは必ずしも一致しない。 “何かを与える” というのは、追加の名誉みたいなものですし、そういうカルチャーを大事にする企業には自然と人が集まると思います。 司会者:日本にも「市場メカニズムを信奉する投資家」というのは多いですが、そういう人の視点とは対極にあるようにも見えます。 梁文锋:もちろん短期間で収益最大化を目指すなら、それが正攻法かもしれません。ただし、米国でいちばん稼いでいるのは、厚い基礎研究に支えられたハイテク企業だという現実もありますよね。 司会者:でも大規模モデル業界では、技術優位が永続するわけでもない。DeepSeek はさらに何を“賭け”ているのでしょう? 梁文锋:将来的に「中国の AI がいつまでも追随者でいられるはずがない」と見ています。よく「中国 AI は米国より 1~2 年遅れている」などと言われますが、その差は実は「オリジナルを生み出すか、それとも模倣を続けるか」の違い。そこを変えない限り、中国は一生追う立場のままです。 NVIDIA が圧倒的な地位を築いているのも、一社だけの努力ではなく、西洋の技術コミュニティや産業が総力を挙げて“次の世代がどうなるか” を常に考え、実際にロードマップを更新してきた結果です。中国が本当の AI 大国を目指すなら、同じようにエコシステムを形成していかなければなりません。 投資や規模の拡大がイノベーションを保証するわけではない 司会者:DeepSeek は開発初期の OpenAI 的な“理想主義”を感じますが、あちらは途中でクローズド化しましたよね。Mistral なども同様です。御社は将来もオープンソースを続ける? 梁文锋:はい、今後も閉源にするつもりはありません。まず強力な技術エコシステムができることが重要だと思うからです。 司会者:資金調達の予定は? 幻方側が DeepSeek を独立上場させるという話や、海外でも最終的に大手 IT 企業と組むケースが多いようですが。 梁文锋:短期的には考えていません。私たちが直面しているのは資金不足ではなく、ハイエンドの GPU が禁輸されることです(笑)。 司会者:AGI とクオンツ(量化投資)は全然別物です。クオンツはひっそりやるほうが向いていますが、AGI はもっと表舞台に立ったほうがいい、という見方もあります。投資をガンガン集めれば、もっと大きな開発体制を整えられるのでは? 梁文锋:投資をたくさん集めても、それがイノベーションに直結するわけではありません。もしそうなら、大手 IT 企業がすべてのイノベーションを独占しているはず。でも現実はそうなっていないでしょう? 司会者:御社はアプリ開発をやっていませんが、単にオペレーションのノウハウがないとか? 梁文锋:今は技術革新の爆発期であり、本格的なアプリの爆発期はまだ先だと考えています。将来的には「DeepSeek が出す基盤モデルや成果を、業界の皆がそのまま利用し、それぞれが得意な toB・toC ビジネスを展開する」というエコシステムが理想的だと思っています。 当然、もし必要ならうちがアプリをやるのも可能ですが、研究と技術革新はあくまでも最優先。そこにリソースを集中します。 司会者:API を使う側から見て「じゃあ大手 IT 企業じゃなくて、なぜ DeepSeek を選ぶのか?」という疑問が出るかもしれません。 梁文锋:おそらく将来は専門化が進み、「大規模モデルを継続的にアップデートする専門企業」と「その上にサービスを構築する企業」が分かれるでしょう。大手企業にも得意不得意がありますし、彼らが持っている既存ビジネスゆえに“新たな破壊”を起こしにくい面もあると思います。 司会者:とはいえ、技術に絶対的な秘密はないから、結局は追いつかれるのでは? 梁文锋:そう、技術に秘密はありません。でも同じことをゼロから再構築するには時間とコストがかかるんです。NVIDIA の GPU アーキテクチャだって、理論的には誰でも真似できるはず。しかし実際に同レベルのチームを編成し、常に次世代を見据えて開発するのは至難の業なので、結果的に“堀”は大きい。 司会者:御社が値下げしたのに LINE が即座に追随したのは、脅威を感じたからでしょう。スタートアップ vs. 大手、という構図で何か新しい展開がある? 梁文锋:正直あまり気にしていません。クラウドや API の提供はうちにとってメイン事業ではないので。目指すのは AGI です。 今のところ大手が圧倒的に有利という状況でもなければ、スタートアップが妙な大技を持っているわけでもない。大手には既存ユーザーという強みがありますが、それは同時に足かせになることもありますよね。 司会者:DeepSeek 以外の 6 社の大規模モデル系スタートアップについては、どんな未来予測をしますか? 梁文锋:おそらく 2~3 社が生き残るでしょう。現状はどこも資金を燃やしている段階なので、ビジョンやオペレーションがしっかりしている会社が残ると思います。他の企業も、全くの消滅ではなく、形を変えて再出発する可能性はあるでしょうね。 技術的価値のある成果物は残るでしょうし、人材もすべて消えてしまうわけではありませんから。 司会者:幻方時代、御社は競争にはあまり頓着せず「自分たちのやり方」を貫いてきた印象ですが。 梁文锋:はい。常に「その事業が社会の効率を本質的に高めるか」「自分たちはそのバリューチェーンのどの部分で能力を発揮できるか」を考えています。途中での細々した競争に気を取られても仕方ないですからね。 「高深莫測」と言われる若き才能たち 司会者:Jack Clark(Anthropic 共同創業者)は「DeepSeek は高深莫測の奇才を雇っている」と言っていました。実際、V2 モデルはどんな人たちが作り上げたのですか? 梁文锋:別にミステリアスな超人を集めたわけではなく、主にトップクラス大学の新卒や博士課程(4 年目~5 年目)のインターン、卒業して数年の若者たちですよ。 司会者:多くの中国企業は必死に海外から人材を引き戻そうとしていますが、御社のメンバーはほぼ国内出身? 梁文锋:V2 の開発に関しては、海外帰りはいません。本土組だけでやりました。 世界的に見て「トップ 50 のエリート人材は中国企業にいない」という声もありますが、私たちは「だったら自分たちで育てればいいじゃないか」というスタンスですね。 司会者:MLA(マルチヘッド潜在注意)のアイデアはどうやって生まれたのですか? 聞くところによると、若い研究員の個人的な発想が発端だったとか? 梁文锋:彼が従来の Attention アーキテクチャを総括し、その変遷を俯瞰した上で「それなら代替案を作ってみよう」と思いついたそうです。とはいえ、単なる思いつきから完成までは長い道のりで、専用チームを組んで数か月を費やしました。 司会者:こうした突飛な発想が形になるのは、完全にイノベーション指向の組織だからでしょうか。AGI のような不確実性の高い領域では、管理がもっと厳しそうですが。 梁文锋:DeepSeek でも基本は自発的・自律的な進め方です。事前にタスクを与えたりはしません。各自が自分の成長体験を持っていて、モチベーションも方向性も違いますから、自ずと主導して動き出す。途中で問題があれば仲間を集めて議論する――そんな流れです。 ただ、あるアイデアに大きな可能性が見えたら、上層部からリソース配分することもありますね。 司会者:人や GPU をどうやって手配するかも重要ですが、そこはどうなっていますか? 梁文锋:各研究者が望むなら、必要なだけの GPU を予約できます。事前の承認フローなどはありません。それに、組織にヒエラルキーや部署の壁がないので、人材のアサインも柔軟にやれます。本人同士が「やってみよう」と思えばすぐチームアップできるんです。 司会者:かなり「ゆるいマネジメント」に見えますが、それは採用の時点で「強い好奇心や研究への情熱」を持つ人を厳選しているから可能なんでしょうね。 梁文锋:そうですね。給料や条件よりも、研究への渇望が強い人が集まっています。中には変わった経歴を持つ人も多いですよ。自分も含め、みんな研究が好きで仕方ないんです。 司会者:Transformer は Google の AI Lab で生まれ、ChatGPT は OpenAI で生まれました。大手 AI Lab の役割と、スタートアップの役割はどう違うと見ますか? 梁文锋:Google Lab や OpenAI、それに日本で言う大手 IT 企業の研究所には、どこも大きな価値があります。最終的には OpenAI が先に出したけれど、歴史的偶然も大きいと思います。 司会者:イノベーションはかなり「偶然」に左右されるということでしょうか。御社のオフィスには壁を取り払ったスペースが多いとも聞きました。「偶然通りかかった人が議論に加わる」ような仕組みを意識しているのですか? 梁文锋:そうですね。シリコンバレーのイノベーション精神は、とにかく「やってみる」ことから始まっています。ChatGPT が出たとき、中国(あるいは日本でも)「差がありすぎる。もうアプリに専念しよう」と思う人が多かったですが、最初からそう諦めていたら何も変わりません。若い世代はむしろそういう成功例に影響されて「自分もやれるはずだ」と信じる力が強いですね。 司会者:DeepSeek は資金調達もしないし、表立った宣伝もしていません。そうすると世間的な注目度はどうしても大型調達をする企業に劣りそうですが、それでも「大規模モデルをやりたい人がまっ先に来る場」だと自負できる? 梁文锋:はい。私たちは「世界で最も難しい問題を解こう」としているわけで、優れた人材にとってはそれ自体が最大の魅力です。正直、今の中国にはハードコアな研究をしている場所があまり多くなく、結果的に優秀な人材が埋もれがち。でも実際にやる場さえあれば、彼らは花開くはずです。 司会者:最近、OpenAI が GPT-5 を発表するかに思われましたが、そうではありませんでした。技術曲線が頭打ちになりつつあるという説や、Scaling Law(スケーリング則)に限界があるのではという見方もありますが。 梁文锋:私たちはむしろ楽観的です。OpenAI も人間の組織ですから、ずっと先頭を走り続けられるわけではないでしょう。 司会者:DeepSeek はコード生成や数学特化のモデルも公開したり、Dense モデルから MOE モデルに切り替えたりして、AGI に近づくロードマップを持っていそうですが、AGI 実現は何年先くらいと見ていますか? 梁文锋:2 年後かもしれないし、5 年後か 10 年後かもしれない。でも私たちの生きている間にはきっと成し遂げられると思う。 具体的なルートは社内でも意見が分かれますが、大きく 3 つの領域には注力しています。1 つは数学とコード。これは囲碁のように「閉じられた系」であり、自律学習で非常に高度な知能を育める可能性がある。2 つ目はマルチモーダル。人間の現実世界を学ぶにはマルチモーダルが必須かもしれない。3 つ目は自然言語そのもの。 結局のところ、どんな可能性も排除せず「全部やる」くらいの気持ちで臨んでいます。 司会者:最終的に大規模モデルはどんな形に落ち着くと思いますか? 梁文锋:基盤モデルや基盤サービスを専門的に提供する企業があり、その上に多種多様なアプリやサービスが立ち上がる――そういう分業体制になるでしょうね。 すべての“常識”は前世代の産物にすぎない 司会者:ここ 1 年の中国の大規模モデル界も動きが激しく、たとえば昨年、派手に起業した王慧文氏が途中で退いたり、差別化を模索する動きが顕在化しつつあります。 梁文锋:王慧文氏の場合、みずから損失を背負って周囲を救済したと聞いています。自分にとっていちばん不利な選択でも、他の人にはメリットがあるならそれを選ぶという、非常に“義理堅い”人だと思います。 司会者:梁さんは最近、どこにエネルギーを注いでいる? 梁文锋:次世代大規模モデルの研究ですね。まだ未解決の課題が山ほどあります。 司会者:ほかのスタートアップは「技術でも先行し、同時に製品化して市場も押さえたい」と考えていますが、DeepSeek はモデル研究に専念する理由として「まだモデル能力が十分じゃない」という見立てなのでしょうか? 梁文锋:世の中にあるビジネスの“お決まり”は、だいたい前の時代の遺産です。インターネット時代の収益モデルが、AI 時代でも通用するとは限らない。マーク・ザッカーバーグが Facebook を創業したとき、「ゼネラル・エレクトリック(GE)」や「コカ・コーラ」のビジネスロジックを持ち出しても仕方ないのと同じですよ。 司会者:幻方も強力な技術・イノベーションを武器に成長してきましたが、比較的スムーズだったからこそ楽観的になっている部分もある? 梁文锋:いえ、幻方も平坦な道ではありませんでした。長年の積み上げがあったからこそ 2015 年以降に成果が表れたというだけで、実際には 16 年近くの歴史があるんです。 司会者:最後に「オリジナルなイノベーション」についてうかがいたいです。中国(日本も含め)の経済は下り坂との見方もあり、投資環境も冷え込んでいると言われています。これがさらに“本格的なイノベーション”を妨げる可能性は? 梁文锋:むしろ産業構造が転換期に入り、硬核(ハードコア)技術に頼らざるを得ないので、イノベーションは逆に増えるのではないでしょうか。 「過去にたまたま儲かったのは時代の運が良かっただけ」と気づく人が増えれば、もっと地に足の着いた研究や開発をしようという流れが強くなるはずです。 司会者:それでも楽観的に見ている? 梁文锋:私は 80 年代、広東省の地方都市で育ちました。父は小学校の先生で、当時は「勉強なんか無駄だ」と言われることが多かったんですね。でも今振り返れば、時代とともに価値観は変わるし、タクシー運転手ですら“稼ぎづらくなった”と嘆く時代になってきている。たった一世代でこんなに変わるんですよ。 ハードコアなイノベーションは今後もっと注目されると思います。社会全体がその成果をしっかりと評価し、そこで成功した人を称賛すれば、“安易に稼ごう”というムードも少しずつ変わってくるでしょう。私たちにはまだ「事実と時間」が必要ですが、それが積み上がることで、みんなの考え方が変わるはずです。 以上が、DeepSeek 創業者・梁文锋氏との対話の主な内容です。 彼が語る「中国の技術理想主義」は、一見すると悠々自適な姿勢のようでありながら、実際には壮大な使命感と行動力に貫かれていることが伝わってきます。大きな商業的野心とは違うところに“原点”を置きながら、結果としては世界中の研究者やエンジニアを惹きつけている――そんな姿が印象的でした。 DeepSeek が今後どんな未来を切り開いていくのか、その動向からますます目が離せません。